『 見るは法楽見られるは因果、可哀想なは演奏者でござ~い 』2020年11月04日 11時50分50秒

自分の演奏を聴いて、ホッとしたり、リラックスしたりする、ようなことが有れば、それはいいことなのか。

聴く人が、ホッとする、リラックスする、それは悪いことではないが、演奏者がそれに満足すること、それはどうだろう。

自分の演奏を聴いて、ホットになったり、エキサイティングになったりする、ようなことが有れば、それはいいことなのか。

聴く人が、ホット、エキサイティング、それは悪いことではないが、演奏者がそれに満足すること、それはどうだろう。

他人の演奏を聴いてそうなる、ならどちらもけっこうなこと。が、自分の演奏を、完全に第三者の立場で聴けるものなのか。

自分の声を直接聞くことは出来ない、自分の後姿を直接見ることは出来ない、そして、自分の行動を第三者として観察出来ない。

同じように、自分の演奏を客席で生で聴くことは出来ない、たとえ録画技術が向上しても、それはあくまで幻影で、生ではない。

そのジレンマが、演奏者にはつきまとう。自分で自分を観る、こればかりは、いくらデジタルだ、AIだ、と言っても叶えられない夢。
(まてよ、幽体離脱が出来れば叶うかも?)

そこで本日の一言、
『 見るは法楽見られるは因果、可哀想なは演奏者でござ~い 』