『 大は小を可哀想にする 』2021年01月16日 12時25分25秒

判官贔屓という言葉がある。小さいもの、弱い者、虐げられたものに対する、贔屓目の感情のことだが、ことに年寄りには顕著ではないか。

大元は、源義経が義兄・頼朝にいじめられた、という歴史にあるが、いじめなのか当然の処置なのか、歴史的解釈は諸説あるようで。

木の枝のミカンを食べに真っ先に飛んで来るのは、小さいメジロ。すると、すぐに、その数倍は大きいヒヨドリが飛んで来くる。

ヒヨドリはメジロを追い払って、ほとんどのミカンを食べてしまう。メジロが地面に落ちたミカンをついばんでいる姿は、哀れにも見える。

もし、飛んでくるのがヒヨドリだけなら、ヒヨドリは可愛いのに、メジロという小さいものの出現で、一気にヒヨドリが悪者に見えてしまう。

判官贔屓とは、比較するものの出現で生まれる人間の勝手な感情、ということか。そう考えると、可哀想なのはヒヨドリなのかも。

中立的な視点でものを見るということが、実は出来ていないのではないか、そんなことを、この年になって考えさせられる、窓の外の風景・・・。

そこで本日の一言、
『 大は小を可哀想にする 』