モノにも気を抜いたことが伝わる・・・?2010年04月22日 12時58分58秒

先日、バスの中で帽子を脱いで『暑いなー、帽子いらんかったなー』と、心の片隅で思ったらてきめん、バスを降りるときに座席に帽子を忘れました。

別の日のこと。この楽器よりは、もう一方の楽器を買えばよかったかなー、と思ったらてきめん、その楽器にキズを付けてしまいました。

まるで、モノにも気を抜いたことが伝わって、モノのほうから「ああ、そうかい、そうかい」と、愛想をつかして去っていくような。

もちろんモノに心があるはずもなく、自分の心がそうさせているのですが、そんな風に感じるのは、単なる自己責任のすり替え、か。

で、それと同様のことが、演奏でも起きるとしたら?音のほうから、「ああ、そうかい、そうかい」と、愛想をつかして去っていくとしたら?

そして、その音が客席に届く、となると、これは自己責任のすり替え、では済まされない。

以前プログに書いた「遊び心」が、「気を抜く」とすり替わっていないか。自分の演奏の録音を聴きながら自省・・・・。