あけましておめでとうございます2013年01月03日 23時59分59秒

2013年、あけましておめでとうございます。

また新しい年が明けました。とりあえず、の感覚で始めたこのブログも、丸々7年が過ぎ、2月には8年目に突入します。

パソコンから、携帯から、スマホから、最近は○Padからなど、ウェブサイトが何時でも、何処でも見られる昨今のインターネット環境。

そんな時代に付いて行けずウロウロしていたけど、やっとそれらしき物を手に入れてみると、なるほど、これは便利だ。

ということで、今年はそんな物も使って、幅広くいろんなことに挑戦する年にしたいとの決意を。なんせ、やっと「八方塞り」が解けるから。

と思っていたら、「それが解けるの、2月3日の節分からだと思うけど」とのご助言に「え゛~!」

でも、せっかくの新年なので、解けたことにしましょう。要は心の持ちよう、そう、「信じるか信じないかは、あなた次第です」、だし・・・。

「今年の目標」は後にして、っと・・・2013年01月07日 22時30分30秒

年が明けて早々年間目標を立てるのも、なんだかウソっぽいので、なんとか今月イッパイには並べ立てることにして、とりあえず今日の目標は「 七草がゆをつくる 」。

もちろん、男の料理、なんてものにはハナから挑戦する気はなく、出来合いの「かゆパック」と、198円の「七草セット」を刻んで、適量の塩といっとょに鍋にほうり込む。

出来あがったのは、ほとんどなんの味も香りもしないお粥だけど、まあ、人生で初めて自分でつくった七草がゆだから、これでよしとしよう。それにしても、料理というのは面倒。

もっとも、スーパーの惣菜ばかりでは飽きるので、時々は台所に立つが、せいぜい野菜炒めとかの、料理と言えない程度のものばかり。世の料理好きの人には感心してしまう。

それでも、スーパーのパック野菜サラダと、不器用でも自分で作った野菜サラダの味の違いぐらいは判るので、健康のため、そして豊かな老後のため(?)、少しは料理に挑戦してみるか。

ということで、大き目のフライパン、フタ付きの小鍋、中ぐらいの包丁を揃えたが、いざやってみたら、ハタと気が付いた。そうか、料理というのは、気長で小まめ、が必須だと。

さて、両方持ち合わせない者でも出来る料理というのは、あるのだろうか、まずは、それを探さなければ・・・。

「ながら族」で正月気分から脱却?2013年01月10日 23時59分59秒

いつまでも正月気分で浮かれていてはイカン、ということで、やっと机の前に座った。が、さて何をしよう。

とりあえず、自作のトロンボーン楽譜を230曲ほどPDFにして取り込む。次に、漫画の本の自炊(PDF化すること)。

安物のスキャナーなので時間がかかるから、右耳で音楽、左耳でテレビ、をイヤホーンで聴きながら。

少し気分が乗ってきたので、楽譜を書く、といっても、以前書いた楽譜の焼き直し。これも、右耳、左耳、別々の音を聴きながら。

ここまで来て分かった。そうか、「ながら族」というのは、○○しながら、でないと物事に集中できないのだ。

ということは、何かをしながら、何かをする、つまり二つやることを見つければ、逆に集中できるわけだ。

ということで、正月気分からの脱却を目指して、何かと何か、二つを探さなければ・・・って、今年もこの性格は治らないのか。

頭が硬い人の暗譜の苦しみ・・・2013年01月14日 23時59分59秒

曲を覚える方法の一つに、階名で覚えるというのがあります。

「♪ちょうちょ、ちょうちょ、なのはに、とまれ」、は
「ソミミ、ファレレ、ドレミファ、ソソソ」
この階名は、♯がいくつ付こうが、♭がいつく付こうが、変わらない。

だから、その調ごとの音階を覚えていれば、それに当てはめればいい、というのが、この覚え方の便利なことろ。

そして、メロディは和音のルールに沿って作られているので、そのメロディを階名にしても、和音のルールを知っていれば予測がつく。

ところが、この方法の欠点は、メロディが自分の知っている範囲の和音構成で作られていないときには対応できない、ということ。

そしてもう一つ、覚えるのがメロディではなく、メロディとはかけ離れたハーモニーの場合。こちらは、まったく新しいメロディとして覚えないといけない。

いま暗譜に挑戦している2曲が、その両方。今までの覚え方ではうまくいかず、暗譜で演奏しようとすると思い出せない箇所が出てくる。

さてこれは、考え方が硬いのか、頭自体が硬いのか。どっちにしろ、なんとか暗譜の方法を考え出さないと。

・・・・って、それを考えるのも、そもそも頭が硬いとムリなのか!?(悩)

歯医者さんからの三つの提言2013年01月17日 22時00分00秒

先日、歯医者さんに行って、歯垢状況など診てもらいました。
終わったあと、歯以外の体の健康のことなど話していると、先生が、

「年をとったら、良くすることより現状維持をしなさい」
「はあ、そうですか」
「ストレスをためるから病気になる。ためないようにすることが肝心」
そしてそのためにいい、と教えてもらったのが、三つの体のケア。

1.指もみ・・・手と足の全ての指を10秒ずつ、1日数回もむ
2.暖っため・・・首、手首、足首の三首と腹を冷やさないよう暖める
3.深呼吸・・・腹式呼吸で深い呼吸を心がける

1.は、ずい分前にテレビで聞いたことはあったが、やったことはなかった。実際にやってみると、確かに気持ちがよくてストレスが取れそう。

2.は、高校の体育の先生が「大人になったら三首を大切にしろ」と教えてくれた。早速レッグウォーマーを買って暖めてみたら確かに気持ちいい。

3.は楽器を吹くときにやっているからいいか・・・いや、普段の生活の中でも意識してやってみることにしよう。

歯医者に行って、年寄り健康法を教授されるとは思わなかったが、せっかくだから、覚えておいて続けてみるとするか、えーっと・・・なんだっけ。
そうそう、
「ゆびもみ、あっため、しんこきゅう」、「ゆびもみ、あっため、しんこきゅう」、「ゆびもみ、あっため、しんこきゅう~」・・・イカン、眠たくなってきた・・・・。

今年の目標を決定?2013年01月21日 23時59分59秒

買ってもうすぐ2年になるクラリネット、これが突然音が出なくなった。例の、
♪僕の大好きなクラーリネット、パパからもらったクラーリネット~
の状態に。

よくみると、キーに隙間が出来ている。こりゃ鳴らんわけだ、どうしよう。ままよと、買った店に持っていったら「保障期間3年だから修理しますよ」とのこと。よかった!

ということで、さっそく見てもらったら「これ、故障じゃありません」、「え゜~」。ただ楽器のセットの仕方が悪かっただけとのこと。ほ~らみろ、根本的なことが分かっていないじゃないか。

買ったあと、もろくに使いもしないで、状態は新品同様、結果的に、腕前も新品、というか未熟のまんま、そんなものが身の回りにいっぱいある。携帯電話とか、あれとかこれとか・・・。

根底に「もったいない」精神がある、と言えば聞こえはいいが、単に貧乏性なだけ。今年はもっと積極的に物を使い倒そう・・・ついでだ、これを今年の目標にしようか・・・。

噺家にはフラ、ではジャズマンには?2013年01月24日 23時59分59秒

フラとは、落語界で使われる言葉で、「落語家の持つ独特の可笑しみ」のことを言う(と、ものの本に書いてある)、らしい。

それは、面白い=明るく楽しい、ではなく、可笑しい=好ましく趣がある、つまりは、意図しなくてもにじみ出てくるもの、らしい。

いくら噺が上手でも、いくら長いあいだ真面目に稽古しても、おいそれとは手に入らないのが、このフラ、らしい。

最近の言葉で言えば「テンネン」に近いかも。ただし、生まれつきというより、なにかのはずみでフッと手に入ることもあるもの、らしい。

ひるがえって、ジャズマンにとっても、フラに相当するものがある、それをみんな、生涯をかけて必死で追い求めている、らしい。

いくら楽器が上手くても、いくら長いあいだ真面目に練習しても、おいそれとは手に入らない、まぼろしのもの、らしい。

というようなモノが、本当にあるのなら、いくら練習してもムダってことになるのか・・・・って、ネガティブな考えじゃ、フラは、ないな・・・。

隔靴掻痒のもどかしさ2013年01月28日 23時59分59秒

インターネットでメールを確認していたら、アメリカ人の友人からメールが届いていた。あら、珍しや、どんなことが書いてあるのかな、と見てみたら・・・これが全文長々と英語(当たり前か)。

さっそく読みにかかったが、とにかく長い。受験の英文問題でこんなに長い文章を出題したら、受験生全員が不合格になるほど長い。それでも、ぼちぼち読んでみた。ふんふん、えーっと・・・。

で、途中まで読んで、結局は面倒くさくなったから、コピペしてインターネットの翻訳サイトに接続して翻訳させたら、これがまた、見事にお笑い系の文章に変換されていた。

Well, it's a new year を「さて、それは新しい年です」を筆頭に、コミカルな翻訳が並んでいる・・・が、よくよく考えてみれば、自分の能力不足を棚に上げているのを、まったく忘れている。

やはり、英語が読めないのは、隔靴掻痒(かっかそうよう)、靴の上から痒い足をかくように、えらくもどかしい。これもひとえに日本の英語教育の不備だ!・・・と言う前に、自分の勉強不足を思え、か。

2013年の実感がやっと・・・2013年01月31日 23時59分59秒

今日で1月が終わり、やっと、今年が2013年だったとの実感がちょっぴり。この一ヶ月で有意義なことを何もしていないと短く感じ、「やった」と思うことがあれば長く感じる、とすれば、やはり前者か。

相対性理論では、動くものと静止したものの間には時間のズレがあるそうだが、1月行く、2月逃げる、3月去る、というような時間の感じ方も、どっか相対性理論に通じるものがあるのではないか、とつい思ってしまう。

そもそも、地球の公転、自転を基準にして人間が決めている「時間」と呼ばれるそのものが、実在するのかどうか、疑わしい。季節も、日の出日の入りも、時計もない地球だったら、人間はなにを感じるのだろう・・・・。

てなことを考える暇があったらまず行動を!と自省する1月の最終日でありました・・・・・。