『音楽は苦の種、苦は音楽の種』 ― 2022年02月24日 10時10分10秒
<訃報に接して>
年齢もほぼ同じのバンド仲間の訃報が入ってきた。
学生運動の雰囲気が残る大学を、ナンの根拠もない反発心から就職相談にも行かずに卒業して、ただただ不安の真っただ中にいたとき、キャバレーバンドに誘われた。
誘った当人が電器店をやるのでバンドを辞める、その後釜に、との誘いだった。バンドに入ってみるとテンポやキーなどに全く対応出来ず、少しは吹ける、という自信は粉々に打ち砕かれた。
それでも、他の仕事を探すこともなく、そのままキャバレーバンドに居続け、誘った彼とは、彼の店の電器製品、ベータビデオデッキなど、を買って、しばらく付き合いは続いた。
その彼の訃報だった、長らく体調が悪いことは知っていたが、数ヶ月前にライブハウスに来店したときには、元気(もしくはカラ元気)な様子で、店のコンガを楽しそうに叩いていた。
人生の行き先は自分で決めるもの、だが、他人に選択肢の一つを示されることもある、彼はそういう提示者の一人だったが、彼のほうはどう思っていたのか、今となっては確かめようもなくなってしまった。
そこで本日の一言、
『音楽は苦の種、苦は音楽の種』
年齢もほぼ同じのバンド仲間の訃報が入ってきた。
学生運動の雰囲気が残る大学を、ナンの根拠もない反発心から就職相談にも行かずに卒業して、ただただ不安の真っただ中にいたとき、キャバレーバンドに誘われた。
誘った当人が電器店をやるのでバンドを辞める、その後釜に、との誘いだった。バンドに入ってみるとテンポやキーなどに全く対応出来ず、少しは吹ける、という自信は粉々に打ち砕かれた。
それでも、他の仕事を探すこともなく、そのままキャバレーバンドに居続け、誘った彼とは、彼の店の電器製品、ベータビデオデッキなど、を買って、しばらく付き合いは続いた。
その彼の訃報だった、長らく体調が悪いことは知っていたが、数ヶ月前にライブハウスに来店したときには、元気(もしくはカラ元気)な様子で、店のコンガを楽しそうに叩いていた。
人生の行き先は自分で決めるもの、だが、他人に選択肢の一つを示されることもある、彼はそういう提示者の一人だったが、彼のほうはどう思っていたのか、今となっては確かめようもなくなってしまった。
そこで本日の一言、
『音楽は苦の種、苦は音楽の種』

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