鶴の一声、ならぬ・・・ ― 2019年09月10日 11時40分40秒
生らないと思っていたへちまの実が生っていた、それも10個近く。
雄花、雌花の見分けも難しいし、人口受粉は無理だな、とあきらめていたら、どうやら、蜂が頑張って代行してくれたらしい。
有り難いことだが、9月も上旬が過ぎ、このまま背中を流せるぐらいの長さに成長してくれるのかどうか、いささか心細くもある(現在10cm)。
ともかく、刈り取るつもりだったのを思いとどまったのは、へちまの蔓の声が聞こえたのかもしれない、曰く、「蔓の一声」、「泣きッ蔓に蜂」、・・・・。
ところで、実がなるの「なる」は「生る」だが、以前に変換したら最初に「成る」が出てきたので、ああこれか、とそのまま使っていた。
「なせばなる、ナセルはアラブの大統領」は「成る」、「このボントロはよくなる」は「鳴る」、辞書変換まかせだと、脳は衰えるばかり。
ちなみに、9月19日の正岡子規の忌日の名称は、「へちま忌」、だそうだ。
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」/正岡子規
雄花、雌花の見分けも難しいし、人口受粉は無理だな、とあきらめていたら、どうやら、蜂が頑張って代行してくれたらしい。
有り難いことだが、9月も上旬が過ぎ、このまま背中を流せるぐらいの長さに成長してくれるのかどうか、いささか心細くもある(現在10cm)。
ともかく、刈り取るつもりだったのを思いとどまったのは、へちまの蔓の声が聞こえたのかもしれない、曰く、「蔓の一声」、「泣きッ蔓に蜂」、・・・・。
ところで、実がなるの「なる」は「生る」だが、以前に変換したら最初に「成る」が出てきたので、ああこれか、とそのまま使っていた。
「なせばなる、ナセルはアラブの大統領」は「成る」、「このボントロはよくなる」は「鳴る」、辞書変換まかせだと、脳は衰えるばかり。
ちなみに、9月19日の正岡子規の忌日の名称は、「へちま忌」、だそうだ。
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」/正岡子規
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。