プランジャーミュートって・・・2015年07月02日 23時59分59秒

久しぶりに、ブログの更新。

先日、9月にやるビッグバンドのライブのリハーサルに参加。トロンボーンソロの曲があるので、前もって予習しようと思うが、これが難しい。

というのも、アル・グレイというベーシーバンドのプランジャー名人の曲で、こればっかりは狭い家で消音ミュートを付けての練習が出来ないから。

プランジャーというのは、ベルの前で開閉操作する「トイレのスッポン」型のミュートで、開閉のタイミングや角度によって音質が変化する。

なので、消音ミュートを付けては出来ないし、アドリブには、スライドワークとプランジャー開閉、の両方に気を配らないといけないので、けっこう大変。

本番までにはまだ間があるので、ボチボチやるしかない。それまでは、どんな形、どんな色のトイレのスッポンを使うか、検討することにしよう・・・。

(いったん更新を止めると、更新し続けなければ、という圧迫感から開放される。ブロクにしろ日記にしろ、続けないって、楽だなぁ・・・)

絶対・相対、純正・平均・・・ああ、ややこし!2015年07月06日 23時59分59秒

合奏するさい、主旋律パートはメロディラインが分かり易いが、ハーモニーパートは自分が何を演奏しているのかが、分かりにくい。

その旋律とかけ離れた音をどう認識して演奏するか。そのさいに、絶対音感と相対音感の問題が浮上する。

絶対音感では、たとえばCの音は、音の役割がなんであろうと、Cとして認識する。しかし、相対音感の場合は少し違ってくる。

相対音感では、Cの音は、キーがCなら階名のドととらえるし、キーがA♭だとミととらえる。そう認識しながら演奏する。

一見よさそうに思えるが、そうも言えない。というのが、ジャズの曲目においては、途中で転調する場合が多いからだ。

そうすると、ドだと認識していた音が途中でミに変わってしまう、ということになる。それが?と言われそうだが、そうもいかない。

というのも、ドとしてのCと、ミとしてのCでは、その意味合いも異なるし、トロンボーンはそれによって微妙にスライドの位置も変えるからだ。

それは、純正律音階と平均律音階、という別の問題になるから、さらにややこしい。それをどうやって生徒さんに伝えるか、頭が痛い。

トロンボーンは、それを簡単にスライドで調節できるが、逆にそれが演奏上達の足かせにもなっている、つくづく厄介な楽器でもある。

誕生日なんてない?!2015年07月13日 23時45分45秒

急激に暑くなってきたおかげで、練習しようという気がなかなかおきない。

その状態を脱却するため、自分を奮い立たせる何かがないものかと、あれこれ考えてみる。

その「何か」の一つとして期待したのが、先日の誕生日。「よし、これを期にひと踏ん張りだ」。

と、思ったら、祝い大衆浴場に、祝い酒、祝いショッピング。結局、「よし、明日からは・・・」

ということで、結局誕生日はきっかけにならず、さりとて、あと一年待つのも気の長い話。

そこで本日の教訓、
『時間」は周期ではない。「誕生日」は地球の自転・公転の産物に過ぎない』

今回も台風は傍らを通り過ぎ・・・2015年07月16日 23時59分59秒

九州には台風の影響はほんどなく、ベランダの荷物や廊下の植木鉢を元に戻して、平常の朝となる。

去年も同じような状況が発生して、学童保育の孫の送迎をした、と日記に書いていて、その時も肩透かし。

近所の学校は休校になり、結局夏休みが一日早く始まった、という結果になったらしく、元気な子供の声が。

さて、テレビでは次の台風が近づいていると報じている。「オオカミが来た」ではないけれど、油断は禁物。

人の○見て我が○直せ?2015年07月20日 23時59分59秒

先日、フルバンドのリハに行ったときのこと。全体の音を確認するために円陣に座ったら、対面のメンバーの腹が出ているのが気になった。

歳もそう違わないし、運動不足だなあ、と思いつつ、ふと自分の腹を見ると・・・あれ、そう違わない!?自分では、あんなじゃないと思っていたのに。

梅雨で雨の日が続き、走るのも、チャリもここ数週間ほとんど開店休業
状態、こうなるのもしょうがないとはいえ、これじゃブレスもままならぬ。

そこでせめてと、歩いている最中はずっと「スーッ、フ~ウ~ウ~ウ~・・・」と、腹をいっぱいに使って深呼吸、これで少しは、と期待しつつ。

ということで、今日の教訓、
【 人の腹見て 我が腹直せ 】

弘法筆を選べず・・・?2015年07月23日 22時00分00秒

ここしばらく、三谷一馬さんの、江戸時代の吉原に関する本を読んでいる。別に変な下心があるわけではなく、葛飾北斎の絵との関連で。

で、その中に出てくる文字が読みたくなった。が、そのほとんどが草書。江戸時代の人はそれが当たり前だったとのことで、現代人にはつらい。

楷書→行書→草書、と変化したと思っていたら、草書は楷書とはまったく別の道を通って形作られたらしい。となると、丸覚えするしかないのか。

ということで、久しぶりに硯と筆を引っ張り出し、座卓に向かい、さあ覚えるぞ、思ったら、筆が安物で、ちょっと書いたら筆先がボロボロ・・・。

そこで、本日の教訓、
【 弘法筆を選ばず、貧乏人筆を選べず 】

トンチンカンな答えの患者・・・2015年07月27日 23時59分59秒


先日、病院に定期健診に行って先生と話したときのこと。

「最近は調子はどうですか?」
「はあ・・(バンドのことかな?)・・来週ライブの予定があります」
「体の方は?」
「(チャリのことかな?)昨日20Kmほど走って、少しずつ足慣らしを」
「米は、どうです?}
「(米?・・って、酒造りの米のことかな?)・・育ってると思います」
「そうですか、ま、お大事に」

で、帰りながら考えた。
「調子は」・・・って、内臓の調子、だったのかな。
「体の方」・・・って、体調のこと、だったのかな。
「米は」・・・って、食事の内容のこと、だったのかな。

となると、あの返事を聞いて、先生、どう思ったことやら・・・。