『不幸か幸福か分らない』 ― 2021年02月22日 11時00分00秒
三岳山護聖寺(さんがくさん・ごしょうじ)
梅林に行って来た。ほぼ一分咲き、ところどころ五分咲きで、期待したほどの咲き具合ではなかったが、天気も良く、家族連れなどの車で山道はいっぱい。
その梅林のすぐ近くに、護聖寺がある。松本清張の『或る「小倉日記」伝』に出て来ることで、清張文学愛好者の聖地にもなっていて、こちらの境内の梅は七分咲き。
義父は、松本清張がまだ会社員だったころの同僚で、北九州の「清張記念館」にある、勤務していた会社の社員名簿に、数行隔てて記載されている。
そんなこともあって、このお寺に、ごく薄くではあるが縁のようなものを感じている。、お寺の周りは、森と、竹林と、田んぼと、お墓と、訪れるたびに元気に吠える犬。
梅は満開はではなかったが、山の空気を吸って少し気が晴れた。
そこで本日の一言、
『不幸か幸福か分らない』 (『或る「小倉日記」伝』の最後の文章)
梅林に行って来た。ほぼ一分咲き、ところどころ五分咲きで、期待したほどの咲き具合ではなかったが、天気も良く、家族連れなどの車で山道はいっぱい。
その梅林のすぐ近くに、護聖寺がある。松本清張の『或る「小倉日記」伝』に出て来ることで、清張文学愛好者の聖地にもなっていて、こちらの境内の梅は七分咲き。
義父は、松本清張がまだ会社員だったころの同僚で、北九州の「清張記念館」にある、勤務していた会社の社員名簿に、数行隔てて記載されている。
そんなこともあって、このお寺に、ごく薄くではあるが縁のようなものを感じている。、お寺の周りは、森と、竹林と、田んぼと、お墓と、訪れるたびに元気に吠える犬。
梅は満開はではなかったが、山の空気を吸って少し気が晴れた。
そこで本日の一言、
『不幸か幸福か分らない』 (『或る「小倉日記」伝』の最後の文章)
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